会社でダメでもダメじゃない!〜僕はダメ社員でした①
こんにちは、相葉です。
今回は僕の過去をちょっとだけ披露したいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・
僕はダメ社員でした・・・
1992年の春、僕は社会人になりました。就職活動もままならず、唯一の内定を貰えたところに僕は入社しました。親は大きな名のある会社に入れたことで大変喜んでいました。
職種は「システムエンジニア」。
当時はシステムを作る技術者という職種はまだあまり知られていなく、自分でも、「一体なにをやるんだろう、どんなことをやるんだろう」、と皆目見当がつかない状況のまま入社したのを覚えています。
プログラム経験もなく、パソコンも触ったことがないワープロで卒業研究を書き上げるのがやっと、というITリテラシーの低い僕が、果たしてこの業界でやっていけるんだろうか?とても不安でした。
でも、同時に、楽しみでもありました。
大学では、体育会系のサークルに入り、学業もそこそこに、土日は地元の競馬場でアルバイトをして小遣いを稼ぐ、そんな日々を送っていました。
今でもやりとりが続く先輩、後輩、同期もこの時期に多くできました。4年間の学生生活をエンジョイしていました。
人として、大事なことは持っている、そんな根拠のない自信が当時はありました。
なので、たとえどんな仕事でも、どんな職種でも諦めないで愚直に取り組めばなんとかなる、そんな楽観的な心持ちがありました。
そして、社会人1年目の生活がスタートしました。
最初の新人教育期間中はプログラミングを学びました。はっきりいって全然わかりませんでした。課題を出されても一人ではちっとも前に進みませんでした。なので、プログラムができる同期に頼んで教えてもらいながらなんとか課題を提出する、そんな日々を送りました。
そして、数ヶ月経つと、OJTということで、ある部署のあるプロジェクトに配属されました。
ここで僕は、「自分以外は皆師である」という言葉を胸に、謙虚に色々教えてもらいながら、お茶だし等の雑用含めて、会社での立ち回り方を覚えていきました。
プログラムの出来ない僕は、プログラムの出来る同期がプログラム開発を頑張っている横で、テスト仕様書の作り方を先輩に教えてもらいながら作ったり、2次請の協力会社の人にこれまた色々教わりながら、システムの操作説明書を作ったりと、それでも結構忙しく毎日を過ごしていました。
当時は、仕事も忙しかったけど、アフターファイブ(仕事以外)も忙しかった。夜になると、皆んなで居酒屋に繰り出し、遅くまで飲んでくだをまいていました。
人間関係は良好で、仕事はイマイチだけど面白いヤツ、として徐々に認知されていきました。
その後もたくさんの人生のイベントがあり、気がつけば、妻子持ちの単身赴任者になっていました。(ちょっと飛ばし過ぎの感はありますが、その辺の話はまたの機会に取っておきます。)
時は変わって、2015年の夏、社会人1年目から24年経った頃、僕は単身先のアパートですっかり疲弊していました。
そのとき僕は、あるプロジェクトにサブリーダー的な役割として入り、プロジェクト管理的なことをやっていました。
もうこの頃になると、プログラムは一切せず(もともと出来なかったのですが汗)、開発を担当する協力会社を管理する役割を任務としていました。そして、上司、先輩とプロジェクトを回すため、お客様との折衝や打ち合わせに参加していました。
自分では一生懸命やっていても指摘ばかりされる、そんな残念な状態が続いていました。もともと、システムエンジニアには向かない性格だったのかもしれません。
でも、今更この年で、何か別のことをしようなどと考える気力は持っていませんでした。とにかく、今のこの閉塞した状況をなんとか乗り切りたい。それだけを思って毎日現場に通っていました。
当時は平日は終電まで、土日も翌週の作業を回すため実質出勤なんてのはザラにありました。今となっては考えられないことですが、当時は、「会社の仕事がすべて」の世界観だったので、それに意義を唱えるようなことは出来ませんでした、というか、考えが及びませんでした。
この頃になると、会社の上司、先輩はもちろん、後輩や協力会社の面々からも罵声を浴びせられる毎日を過ごしていました。
心ここにあらず、な感じで、早くこの状態が終わらないかな、そんなことばかり考えていました。結果、ますます罵声が酷くなる、という悪循環に陥っていました。
本当に自分が情けなくて、ダメなやつに思えて来ました。
・・・仕事の出来ないダメ社員・・・
そんなレッテルを貼られるようになったのもこのころからかもしれません。
上司の機嫌を伺いながら、いつも忙しくパタパタしているだけの、仕事の出来ないダメ社員…
そんなイメージが自分の中で定着していました。どうせ俺なんて、と斜に構え、へんに不貞腐れてしまって、、ものすごい葛藤がありました。
そんなある日のこと、いつものように終電でアパートに帰ってきて、シャワーを浴びてベッドに寝転がりながらスマホをいじってネットサーフィンしていた時です。
偶然あるブログ記事が僕の目に飛び込んで来ました。
「あなたは悪くない。 今からでも遅くない、サラリーマンを卒業して自分の人生を生きよう」
そんなメッセージを発信している記事でした。
気がつくと僕は、そのかたの書いた記事を片っ端から貪るように読んでいました。
救われた気がしました。
なぜか、涙が溢れてきました。
自分は自分のままでいいんだ、
サラリーマンでいることがリスクなんだ、40代からでも遅くはないんだ、サラリーマンの弊害をちゃんと知って対策をしなきゃいけないんだ、、、一筋の光が差した感じでした。
その後僕は、これまで社会人人生で一度も経験したことのない「起業塾のワンデーセミナー」というものに申込をしていました。
それまで自分の人生で、そんな大きな変化を伴う行動をしたことはただの一度もありませんでした。でも、この時は、申込ボタンを押すときも、「この人なら大丈夫そう」という感情が芽生えていました。
そして、寒くなってきたある金曜日の夕方、五反田にあるタワーマンションの一室に僕は向かいました。そこで初めて、ブログ記事を書いた講師の方とお会いしました。
第一印象は、ブログ記事の写真のように、優しく穏やかな方という印象でした。
会場にはすでに数名が着席していて、それから約3時間ほどセミナーを聞きいりました。今でもそのときメモしたノートが残っていますが、このノートこそが、僕の第二の人生の出発点となっていると言っても過言ではありません。
なぜなら、ここから、僕の、ダメ社員からの逆襲が始まるのですから。
(続く)